北星学園、創立120周年記念の木のレリーフ (未来のために) [木のレリーフ]
「 環 」と名付けたこの作品は2007年に札幌は北星学園の創立120周年を記念して製作したものです。直径は1.8メートル。
実はこの作品に使った材料は、昭和4年に建てられ、同38年に火事で解体され別な場所で合宿所の建物に再利用された古材だけを使って作ったものなのです。
これが創建当初の姿です。第二次大戦中は軍に接収され戦地へ派遣される医師の教育の場として使われ、戦後はGHQの病院としてまた使われたという、歴史もあります。
火事の時は、近所の方も消火に、そしてかたづけには多くの関係者が手伝う様子が写真に残されていました。生徒のみならず、その親、関係者のたくさんの思い出がつまった校舎だったでしょう。
120周年を2年後に控えた年に「そういう材を使って記念になる物をつくれるだろうか?」という相談を受け、ウンウン唸りながらプレゼンを考え、そして2年後に製作に入っていったのでした。
これが、工房に搬入された梁材ですが、一番左の短い材が元々の断面寸法で、24センチ×48センチ、長さはなんと7~8メーターあったんですよ!そんな状態で工房に持って来てしまうと僕一人では転がす事もできないので(だって計算上では一本470キロ)学校側にお願いをして長さも巾も半分にして搬入してもらったのです。それでも4分の1だから、一本119キロの計算でした。
中には、火事の焼けた跡が残る材もあったり、また、梁として使われていたので、あちこちに組み手の掘り込みが有ったり、大きな割れがあったりで、
それらを避けて使うには、赤のマジックで線をしたような、妙な木取りをしなくてはならず、断面が大きいだけにこれは大変な作業でした。
ね!?こうして斜めにチェーンソーで荒く挽いたりして、少しずつ、傷みのない部分を取っていったんです。
ところで、この梁の樹種はアメリカから輸入された、ダグラスファーという木でした。昭和4年にすでにそんな材が輸入されていたということがすごく意外だったのですが、調べてみると、この材が使われ始めたのは関東大震災後の住宅復興をきっかにして輸入がはじまったのだそうです。
「この材を使って記念になる物を」という打診をされた時は、ベンチでもテーブルでもアートでも、特に限定しないというお話でした。そして一番最初に思った事は、学校関係者の自己満足で終わらない、むしろそういう古材を使って物を創ったということに子供達が何か意味を感じ取れる物にしたいということでした。
若かりし頃の話ですが、大学の2年の後半から木工を専攻し、それまでは手道具での加工しか経験がなかった者がいきなり機械を使った加工ができるようになりました。最初のうちはその能率になんでも出来るかのような気分でしたが、日が経つにつれ、自分のなかにデザインの元になるものがないことに気が付き始めました。形に託す「想い」の部分が自分にないことに気が付いてしまったのです。
悩んだ末、ヨーロッパに行って、いろんなものを見てみようと思い、一年間、バイトに精を出し、親の援助もあって、4年の前半を休学してヨーロッパを4ヶ月間放浪しました。各地で巡った美術館は100を超えていた記憶があります。この時の体験がなければ今の僕はなかったでしょう。
その旅の最も大きな収穫は、なんと 「日本の再発見」でした!
最初に降り立ったのはパリで、初めて見る石の文化に圧倒されました!ルーブルなどで、教科書でしか見ることのなかった本物も見、最初の2週間はただただすごい!の毎日でした。そして次に向かった地はロンドン。ここでもまたすごい、すごい、、、。ところが大英博物館に行った時のこと、そこは地域別の展示がしてあり、各地の美術の高いレベルの物がありました。
それぞれに感心しながら日本のコーナーに来た時、びっくりしたんです!「すごいじゃないか!?」って。そこには、着物、漆器、刀、焼き物、とか一通りのものがあったと思うのですが、独自のスタイルであり、比べようもなく、しかし高い水準にあるんだということに強烈に気が付かされたのです。ヨーロッパの文化中で、あるいは地域別の展示によって、その鮮やかな比較が気付かせてくれたのでしょうね。
その後、ドイツから北欧に上がり、今度は下って、南欧を巡りました。様々な物を見、考え、そして帰って一番にしたことは、日本の美術工芸の写真集を図書館にこもって見まくったのです。そして一人図書館で「すごい、すごい!」の声を押し殺す僕がいました。
ここに一枚の着物の柄があります。
ヨーロッパで圧倒されたものは、幾何学の塊のような世界です。それに対しなんとなくイメージしていた日本の文化とは墨絵に象徴されるようなフワフワとした世界と思っていました。ところが、帰ってきて改めて見るそれには、ちゃんと幾何学の裏づけがある。ただ、それで押し通すのではなく、そのことで生まれてしまう「硬さ」を和らげるために、この着物にあるように幾何形体の一部を隠したり、省略したり、あるいは自然から採った自由曲線を使ったりしています。
抽象的な言い方をすると、ヨーロッパの文化は論理一辺倒、対して日本は論理と感情のバランスを取っているかのようです。
ヨーロッパの文化と日本の文化を「石の文化と木の文化」と例えた人がいました。洋の文化にとって自然とはかつて、征服すべきものであり、日本にとっては人もあくまで地球の一部でしかないという感覚の違いがあったように思います。
例えば、洋と和の庭を想像してみると、洋の庭の樹木の剪定は円錐形とか円柱形だったりしませんか?生きている樹木にデザインを押し付けるわけです。対して、和は?枝なりの剪定をしますよね?それは木の個性と人が美しいと思う形の折り合いをつけているわけです。
そんな違いが上の着物の柄にも現れているように思えます。
僕は「素材を生かす」という言い方が大好きです。この言葉は日本人のすばらしい感性を象徴しているように思えるのです。この言い方は命のない素材に対しても普通に使いますでしょう?石でも、鉄でも、、、。なのに「生かす」と言う。
これは自然からいただいた物はすべて、大切に使おうという気持からくるものですよね?ここで取り上げたレリーフの古材にはさらに歴史も加わっているわけです。
ですから、このレリーフの核になったコンセプトは「素材を生かすに象徴される日本の感性」だったのです。
全体の構成は内側のリングを地球と見立てると、外のリングは地球上のあらゆる物、生き物。あるいは個性も性別も国境も宗教などあらゆる違いを超えた人の輪。そんな意味を込めました。
時代とともに世界はますますグローバル化していきます。異文化の者とコミュニケーションするために何が大切か?意外と思われるかもしれませんが、それは自分をどこまで知っているか?ということではないか?と僕は思います。
旅をしてしみじみ思ったのです。英語がある程度できれば確かに意志の疎通はできるけど、それだけです。もっと対話がしたいと思った時、自分がどんな親を持ち、どんな地域で育ったのか?その狭い世界の中だけにいると、比較対照がないから自分と身の回りの特殊性が見えて来ない。だから自分がどんな文化の背景を背負っているかも解らないのです。かつての僕はまったく解っていなかった。だから異文化の人間と接しても会話はうすっぺらで終わってしまいました。
だからなのです。こうして古材を再利用しようという気持それ自体が日本人らしい感性であり、特殊性なのだということ、、、
地域の歴史、学校の歴史、自分のこと、親のこと、世界と日本の文化。様々なことを考える小さなきっかけにこのレリーフがなれたら、という想いがこのレリーフには込められているのです。
次の時代を担う子供達への想いです、、、。
僕は物を創ることにおいて一番自分を生かすことができます。今日本が危機的な状況にあっても、現地に行って何かをすることは出来ない。僕にできることはやっぱり物を創る事。少ないけど、募金をし、仕事は普通通りにする。それなりに消費する。前にも書いたように日本経済を冷え込ませてはいけないから。
ただモノつくりとしていつも心がけるのは、「生かされた素材」の生き生きとした姿で感動してもらうこと。それはきっと地球の有難味を感じる感性を育てることにつながると信じるから。たとえそれは小さくても、たくさんのモノつくりが同じような心で生きていたらそれはけっして小さくないし、僕のこの想いに共感してくれる人もいるから、、、。
きっとその地道な努力は、どんどんひどくなる地球に少しでもブレーキをかける力になるだろうから。
それが社会人としての僕の責務なのだと思っています。
外側に配したパーツはひとつとして同じものはありません。あらゆるものがひとつのリングなっているというコンセプトですから、考え付く限りのあらゆるパターンで削りました。
これが80年近い歳月を建築材として生きた古材の中に眠っていた木目だって、信じられますか?自然の造形ってすごいです。
アイコンに使っている写真はここから採ったのでした。
置戸町立置戸小学校の木のレリーフ 「 循 」 (ハチドリのひとしずく) [木のレリーフ]
昨日は札幌から片道4時間の地、オホーツク地区にある置戸町の小学校に歴代の校長先生の写真を飾るパネルの設置に行ってきました。
この小学校には2008年に設置した大作があるのです。
玄関を入って右を向いた、吹き抜けの廊下の先に見えるのがその作品。
タイトルは 「 循 」
直径約3.3メートル、見ての通り、水の循環をテーマにした作品です。
こうした大きなプロジェクトは、デザイン、製作の他に事務的な作業も多く、その部分は、お得意さんであるガイアデザインさんが担当してくれました。その存在なしに、この作品はありえませんでした。(ガイアさんには本当に感謝しています。)
この町は林業で知られ、特に「オケクラフト」という、木のクラフト製品群で有名になった町です。
先日取り上げた「環」という作品の根底のテーマと同じで山に降った雨が川に流れ、海から蒸発してまた山に帰ってくる、、、そういう水の循環をテーマに身近な現象から自然、環境をもう一度見直すことの一助になればとの想いからデザインしたものです。
ですから、このレリーフに使った材料は地元ではなじみのある、トドマツ、カラマツ、タモという材料を使いました。地元の人にとって目の前の生えている木の中に、こんな世界がひそんでいるということを再認識してほしかったからです。その気付きは、きっと何かにつながってゆくと思うから。
「環」(かん)はその一年前の2007年の製作です。この作品はそれまでやって来たことの頂点と限界に達した作品でした。
ここまで、僕は作品の形に具象的な形は極力取り入れずに製作してきました。というのは具象的な形にしてしまうと見るひとは「これは葉っぱだ」と解る事で満足して、木目とか立体の表現まで気付かないのではないかと思えていたからです。
「環」が完成していろんな人の反応を見ると、自分では最高の評価であり、多くの人がすばらしいと評価はしてくれましたけど、中にはやっぱり「で、何なの?」という人もいたわけです。今のままの方向性ではこういう人にも理解させることはできないだろうというのが、その時感じた「限界」でした。
そんな頃にこの置戸小学校のプロジェクトは始まったのです。
その「限界」を打ち破るために考えたことはふたつ。ひとつは「具象的な形を取り入れること」もうひとつは「多彩な色を使うこと」です。これは僕にとって、新たな、そして非常に高いハードルでした。
形は葉っぱと水滴。誰が見ても葉っぱとわかるこの形。形があまりにも明らかであれば見る人はそこだけでは満足せずにその内容まで見ることができるでしょう。葉脈のように分割されたパーツはいろんな断面をしていて、そこに不思議な木目が表現されていることまで、自然に目が行くはずです。
そして色は色相環からすべての色の方向を取り入れています。これによって、季節の巡りのようにも見えるかもしれません。ただ、ここまで多彩に色を使うのは技術的には非常に難しく、ここまで来るには様々な着色剤の実験を繰り返して、ようやく辿り着くことができたのでした。
細部を見てゆきましょうか?
トドマツによる葉っぱ。トドマツはクリアで仕上げると、木目の濃淡は弱く、遠目には識別できないほどですが、着色による吸い込みのムラを逆手にとればこんな表現が出来るという見本のようなものなのです。地元の人もこんなトドマツの表情は初めて見たことでしょう。それは着色というお化粧によってトドマツの新しい可能性を引き出したようなもの。しかもそれはトドマツだからこそ出来る表情なのです。
ここもトドマツ。実はここに使ったトドマツは道央のとある山から出て来た、4メートル無節という驚異の材料でした。それはお爺さんの大正時代に植林された木で3代の後にようやく、いい太さに成長しこうして材料になったのだそうです。出来る事ならそのお爺さんにこうして出来た作品を見せてあげたかったですね、、、。
これはカラマツによる部分。カラマツ本来の赤茶の年輪と着色の紫の対比が面白い表情になってますでしょう?
ここもカラマツ。やはり年輪の色とクリーム色の対比がすばらしい効果を出せ、自分で期待した以上の効果にびっくりしました!
ここはタモ材。かまぼこ状の断面に削り出すことで出て来る竹の子状の木目を並べたもの。
ここもタモ材。ここはお得意の掘り込みで、見上げの距離があるからここに出ている複雑な木目は見えないかもしれないけど、凹凸感だけでも楽しめるかな?と。
そして水滴の表現は、
これはカラマツの水滴。(表現が変?笑)
旋盤による球面でしか見ることのできない美しい楕円の木目!そして色との対比。
左はタモ材で右はカラマツ。右の愛称は「ウンチ君」(笑)だけど、水滴が空中を落ちる瞬間のイメージです。
これはタモ材、波紋のイメージ。
旋盤(ろくろ)による物って器がほとんどでアートの表現に旋盤が使われた例って見たことはありません。でも用途という制約をはずしてしまうことでできる可能性って、ものすごくあると思っているのです。地元には器を作っている職人さんが多いのですけど、とある職人さんにこれを見せたら唖然としていましたねぇ。(笑)
見上げの角度で葉っぱを見ると、その凹凸具合がはっきりと見えます。高低差のあるパーツが並んだときにできる不思議な造形に、この時初めて挑戦し始めたのです。このレリーフがあったから、先日の四季のマグネットのような立体表現が出来るようになって来たのです。
ね?この高低差を意図してやれば、その表現の可能性は無限にあります。これからの僕の大事なテーマのひとつですね。
この作品が完成した時、周りの反応は「大絶賛」でした。それは狙い通り、「で、何なの?」と言いそうな人までが褒めてくれたのです。
プロとして追求してきた者だけが知るとてつもない深い世界があります。それをどんな形にすれば効果的に伝わるのか?
見る人にあまりに近づけば陳腐になる。作り手側に近すぎれば難解になる。
「素人にはしょせんわからない」と思うのはやはり逃げであって、作り手と見る人の間に、最適な落としどころは必ずある。そこにいつも悩むけど、年と共に少しずつ見えて来ている気がします。
三次元における不思議な木目を発見して十数年。これが僕のライフワークだろうとずっと追及してきました。素材のいきいきとした表情は自然、地球への理解にきっとつながるだろう、それがどんどん悪くなる環境へのブレーキにきっとなるのだと。それが僕がモノつくりとしてできる社会貢献なのだと。僕が気付いてほしいのは、木の世界だけなのではなく、日本人が培ってきた感性。それは現代に、世界に誇れるものなのだということ。
先日、Dandelionさんの記事で「「ハチドリのひとしずく」という話を知りました。
森が燃えていました
森の生きものたちは われ先にと 逃げて いきました
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは いったりきたり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
出典・「ハチドリのひとしずく」 光文社刊
kuniはハチドリですね。
知名度もお金もない、この日本の状況に自分の力がどれほどの役に立つのかもわからないけれど、、、。でもゼロではないならば、命ある限り、僕はこれをやり続けるわね、きっと、、、。
清明幼稚園の木のレリーフ「つみきとんだ!」ー鉋鍛冶、塗り職人、木工家のコラボ [木のレリーフ]
札幌市内の清明幼稚園のレリーフ。タイトルは「つみきとんだ!」と付けました。高さ4メートル、間口11メートル。2006年の作です。
タイトルの通り、全体の構成は積み木を放り投げた瞬間のような自由な構成としました。そしてこの作品の最大の特徴は、3人の職人のコラボによって完成したことです。
一人は塗り(平たく言えばペンキ屋さん)でもう一人は鉋鍛冶の碓氷健吾さん。
すべてを自由にしてしまうと、デザインする本人の頭が混乱してしまうので、色の構成を左から、緑、青、赤、黄のグループに分けてます。使った色は塗りのダチの知恵も借りつつ、採用した色すべては日本の伝統色から選んでいます。
倉庫への出入り口には、小さな角に切ったスポンジでスタンプのように色付けをしたりで、ポップで、元気な演出をしています。
塗りの職人であるこのダチは関西、関東で修行をしてきたツワモノで、しかも頭の切れる男でしてね。塗料の分子構造まで説明できちゃう奴なんです。(されても理解できないけど、、、笑)
実はこの壁面の下地はなんのことはない石膏ボードでしたが、彼はその壁に補強のメッシュテープとパテで完璧なまでの平面を作ってくれました。そのために使ったパテの総重量は200キロを超えていたそうです!
ですから、この壁、4×11メートルの継ぎ目のない巨大で極上のカンバスになっているわけです。取り付けの時、一つ目のパーツを付けて引きで見た時はあまりの美しさに言葉が出ませんでした。
左には古い肋木も取り入れて。
木のレリーフは見上げても木目が認識できる範囲にしてあるんですけど、肋木のところは登った時に初めて細部がわかる感じですね。(淡いエメラルドグリーンのパーツ)
ここは上手く色が再現できませんでしたけど、、、。
出入り口の左上には、15×15、合計225枚の木口寄木の塊が。(全体で60センチ角)
右上の方にはウエスタンレッドシダーによる楕円の木目。
そのさらに右に同じくレッドシダーにピンクの着色のパーツ群が。ここは神ががり的にうまく行きましてね。今はレッドシダーはすっかり高値になってしまったので、これは二度とできないかもしれません。
出入り口右には縦長のパーツを並べたグループがあって、右からメープル、タモ、クルミ、シュウリザクラ、などを使っています。幼稚園児ですから、木目に見入る子はなかなかいなくて、上から下まで指を滑らせて「ウネウネウネ~」とか「ポコポコポコ~」とか楽しんでいるらしいですけどね。(笑)
右から見たところ。写真の中央と出入り口の左などに紺色の小さな四角が見えるのが碓氷健吾さんに依頼した鉄のレリーフです。
鉄の酸化皮膜を削り落とし、生の肌を出し、そこにセンという刃物でセン目(削り目)を入れ、ただ焼き色をつけただけ。ただそれだけでこんな不思議な深い色になるんです。
これ、皆さんが知っているただの鉄ですよ。ホームセンターなどに売っている鉄のアングルとかフラットバーとか、或いは建築の鉄骨の鉄と同じことです。そういう場所で見る鉄って表面はグレーの酸化皮膜で覆われているので、生の鉄の表情ってなかなか見ないですよね。ま、でも例えば、替刃の鋸の表面は生の鉄の色。(厳密に言うと鋼ですけど)
これが替刃式の鋸。この表面は機械でジャーっと削った表面で味も何もありません。一方、
これは、伝統的な両刃鋸。センという鍛冶屋さんの刃物で手で削ったこの表面は、替刃のものとは違って味があるでしょう?セン目が完全に一直線ではなく、微妙に斜めにかかっているところもあったりしますし、目が全然違う。
話はちょっとそれますけど、こういう昔の鋸の上等の物は、そもそも厚みの分布が違うのです。まず、手前が一番厚く、先に行くに従って薄くなる、しかも、巾方向でも両端が厚く、中間が薄い。そうして引いて切る日本の鋸は切る従って鋸が深く入って行っても抵抗が少ないように作られていたのです。でも今の替刃の鋸はどこを測っても同じ厚み。だからアサリと言って、刃先の左右の振りを大きくしないと抵抗が大きくてダメなのです。そんな、話はまた別な機会に。
鉋鍛冶碓氷健吾さんは、叙勲まで受けられた方で、そんな方にレリーフを依頼しちゃうんですから、僕もどうかしてますけど、この件を依頼した時、碓氷さんには「子供達に鉄、ペンキ、木という身近な素材の、しかし見たこともないような美しい表情を見せてやりたいのです。」と説明しましたら、快諾してくれたんですねぇ。「出来る限りのことはするよ」と言って。
碓氷さんにとって、アートでコラボなんてこれっきりでしょう。碓氷さんの鉋のファンの人が知ったら腰抜かしますわね。「え!?碓氷さんがアートでコラボ!?」って。(笑)
これは、パターンの付いたハンマーで叩いたもの、槌目といいます。
これも槌目。なんとも言えない色でしょう?
これらはいずれ錆ますけどね。それも含めて幼稚園には了承してもらいました。それもまた素材の特性ですからと。
さて右端の木の部分は
高さ2.4メーターほどはあったかと思います。
パインとキハダの2種を使い、考え付く限りのあらゆるパターンで変態加工!
これ作っていた時ね、頭の中をセラームーンの主題歌がぐるぐる回ってました!(笑)
キハダはちょっとオリーブグリーンがかって見えますね。木目がきれいに4方に広がっていますでしょう?
こんなん見たことないですよね?半球状のえぐりのところにもちゃんと木目があるの、解ります?
ギザギザに削り出すと、木目もギザギザです。
子供達がどこまでこれを感じてくれるのかは解らない。ただ、少なくともここになんだかグニャグニャした木目があったという記憶は残るのだと思うのです。そこが大事。
ほとんどの人にとって木目ってフローリングや羽目板の平面の木目でしょう?それは木のほんの表層でしかない。ところがここの卒園生にとって木目はグニャグニャのものかもしれない。羽目板より面白い木目の存在を知っているわけです。
3人の職人が夢中になって作った結果は醜悪なはずもなく、それだけですでに上質なはずです。すさんだ環境に育てばすさんだ心になるかもしれない。でも美しいものの横で過ごした年月は何かを植えつけられるはず。
このレリーフがある空間にはこんな時計も作りました。
文字も自分でしこしこと糸鋸で切り出した、木口寄木の時計です。文字盤は48センチ角。針を保護するポリカの板は動きを出すのにわざと傾けています。
これもまたハチドリのひとしずくでしたね。
北星学園スミス寮のサインとレリーフ「森のおくりもの」 [木のレリーフ]
昔のお仕事を紹介しましょうね。
2004年の仕事で北星学園女子中学、高等学校のスミス寮のサインとレリーフです。
35室あって、一部屋に二人が暮らす居室のサインです。2箇所、白く抜けているところに名前の札が入ります。
すべての部屋に違う樹種と表情を使い分けて、その部屋のマスコット的な存在になるように考えました。この一連のサインに関しては、大学の後輩、熊谷文秀氏とのコラボになってます。彼のホームページは
http://web.me.com/fkuma/confusion/kumagaifumihide.html
(ちょっと覗いて見てね。カテゴリーのWOODのところに、kuniが製作協力した作品が6点載ってます。そのうち2点は彼とのコラボになってます。びっくりするようなでっかい作品もありますよ~。)
サインはすべて、このとぼけた顔で統一しました。左はトイレ、真ん中が事務所、右はバスルーム。一番のお気に入りはこのバスルーム。体がお湯につかっているところを水色で表現したもの。この時初めて、一度切り分けて着色という手法を思いついたんですね。
ここは、集会室。個性の違う子がわいわい集まっている感じ。
ここは学習室といって、家庭教師とお勉強するための部屋。右が生徒で左が教師。バツ出して凹んでるでしょう?先生はマルでいばってる~。あは!
ホールのレリーフ。タイトルは「森のおくりもの」。ベンチとセットで作ったことがなんといってもこのレリーフを成功させた最大の理由。それによって単なるアートではなく、使えるアートになってるんですね。
右奥が食堂になっているので、すべての寮生が一日に何度もここを通り過ぎます。待ち合わせには「もりおくで○時にね~」なんて会話があるそうで、卒寮の記念写真も毎年、この前で撮ってくれているそうです。嬉しいですよね、自分の作品が子供達の思い出に確実に刻まれているんですから、、、。
細部は圧巻ですよ!
もう7年も経っているので、今はずいぶん焼けて色が変わってますけどね。これもkuniの代表作。「環」とこの「森のおくりもの」は同じ敷地にあるんです。校舎と寮なのでね。
たまに懐かしくて見学させてもらいます。見るたびに「いい仕事したなぁ」って思いますねぇ、、、。